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イタリア全国民の所得をネット公開、猛反発で即日中止
【ローマ=松浦一樹】税逃れが深刻な問題になっているイタリアで4月30日、国税当局が全国民の申告所得額の一覧をインターネットでいったん公開し、即日中止するというハプニングがあった。 当局者は「納税を促すため情報公開に踏み切った」と事情を説明しているが、納税者側からの猛反発で、公開中止に追い込まれた。 一覧は実名入りで2005年の申告所得額や課税額が掲載され、同日朝から、国税当局のサイトで地域別に閲覧できるようになったが、伊メディアによれば、「有名人や近隣住民の所得を知りたがってのアクセス」が殺到したため、間もなくシステムがダウン。 午後になると、「所得公開はプライバシーの侵害に当たり、犯罪者を利する行為」(消費者団体)といった抗議の声が続出。これを受けて、個人情報保護当局が介入に乗り出し、公開中止を勧告したため、システムが復旧しないまま、データが撤去された。 同国では1980年代から、所得税の未払いが膨らんでおり、2007年の最新データによると、累積未納額は国内総生産(GDP)の20%に当たる2700億ユーロ(約43兆円)。国税当局は税収アップのため、全就労者約4000万人の所得額を国民の目にさらす異例の強硬措置に出たが、反発を招くだけに終わった。 (2008年5月2日02時15分 読売新聞) 納税者所得のネット公開、すぐに中止・イタリア国税庁 【ジュネーブ=市村孝二巳】イタリア国税庁が4月30日、数百万人の納税者の所得など個人情報をウェブサイトで公開したところ苦情が殺到し、個人情報保護機関の指示で一時サイトを閉鎖、公開を中止するという騒動があった。ANSA通信によると納税者の名前、生年月日、住所、申告所得、納税額などの情報が自治体ごとに公開されたという。 国税庁は「透明性向上のための情報公開の一環」などと説明。脱税を取り締まる際に端緒となる情報を一般から募るのが目的とみられるが、消費者団体からは「個人情報の漏洩(ろうえい)だ」「犯罪者が付け入るスキを与える」といった批判が集中している。 なんでしょうかこれは(笑) このニュースを聞いた瞬間笑ってしまいました、あまりのバカらしさに。 ネットで個人情報の漏洩が問題化している現在に わざわざ個人情報を晒すようなことをやっているわけです。乱暴に言うと・・・ 「むかついたからこいつら晒してやろう!」 これ・・・2ちゃんねる並のレベルの低さですよね。 プライバシーという言葉はどこに飛んでいったんだろう? しかも個人主義が浸透しているヨーロッパで起きたことなんだからますます意味がわからない。重要でしょう?個人にとってプライバシーは。まぁ陽気な気質のイタリアは特別なのかな・・・? ・・・・なわけないですよね、猛反発があったんだから。 どうもネットの目新しさは、プライバシーという言葉を忘れさせるようですね。それも支配する側の政府が、ネットという手段を選んだというのはネットというものが支配する側にとって魅力的なものであるという事実を示しているのかもしれませんね。メディアを賑わせている、ネット自由派の著名人達が必要以上にネットの自由の自明性を押しつける理由がここにあるような気がしてなりません。 これ以外にもネットでは蔓延している違法行為、匿名による誹謗中傷、著作権侵害の共有。いずれもプライバシーという言葉から遠く逆行していると思います。私にとって現在のネットは新しい世界などではなく、時代遅れの原始社会にしか見えません。 プライバシーという言葉には責任という言葉も結びついている。 責任を求められないシステムは無責任な人間を大量に産むんじゃないかな?。 少なくとも私はそいつらと一緒に生活したくないぞ。 |
過激な写真サイトはどうにもならないのか?
2007年9月上旬、宮崎県庁本館前で全裸になった女性を写真撮影、公然わいせつ容疑で男女3名が逮捕された。この1月23日は東国原県政が1年目を迎えた日で、翌日のニュースでは知事よりもこちらのほうが注目を集めてしまった。 公的な場所で女性が全裸になっている写真を不特定多数が閲覧できる形でネット公開、 それを見た人が匿名で通報、逮捕者が出たそうです。 知事よりも注目を集めたそうで・・・エロの力はすごいというか呆れますよね。 裸になる場所を予告し公開していた・・・ 香港の流出事件と較べると面白いです・・・自ら公開予告してますから・・・ ごめんなさい不謹慎すぎましたね。 彼らのホームグランドであるホームページには、意外と「応援します」といった書き込みが目立った。「何で通報するのだろうか。好きな人の楽しみを奪うのは許せない」といった書き込みが気になった。 [ネットは自由なのにリアルでは自由でないことの矛盾] これは問題発言ですよね。何故問題かというと これはリアルとネットのルールが共存してしまっていることにより 発生する矛盾だと思います。 「ネットは自由であるべきだと」という主張をする人をこのブログでは ネット自由派と名付けます。ネット自由派からすると つまり「ネットは自由であるべきなのに、つまんない、許せない!」ってことなるわけです。 私はこの発言にだいぶ距離を感じます。 ネット自由派の意見によく欠落しているのは 「ネットとリアルの矛盾」の問題です。 無根拠に提示される「ネットは自由であるべきだ!」という意見は 私のような「ネットのある部分に違和感を感じる人間」にとっては非常にまぶしい。 村上龍などの大作家はネットのメリットだけをごっそり取り上げてるし、 ネットメディアはあたかもネットが何の疑いもなく自由であることを推奨している。ネット上で反ネット的な意見を探してもなかなか見つからない・・・ [ネットの同調圧力] このネットの自由に反するような発言自体がしにくいという空気があると思うんです。 このブログの紹介文にもありますが、「ネットの同調圧力」とは 保守的とか、反動的とか、時代遅れであるとか、そういうネガティブなイメージを前提的に押しつけられていることによる息苦しさです。 単なる匿名者の「何で通報するのだろうか。好きな人の楽しみを奪うのは許せない」という発言は単にこの空気を助長する方向にしか働かない。 [リアルに及ぶ不公平] 私はこの空気そのものに違和感を感じるので このブログでボソッと「んじゃ・・・リアルはどうなんのよ?」というツッコミを入れるわけです。 つまりリアルとネットがリンクしている限り 片方だけルールが違うというコトによる矛盾が発生し、 それがリアルの世界に不公平な状況をもたらしているという不満も発生するということ。この事件で言えば、「ネットで不特定多数に公的な場所での全裸写真を公開してもいい」ということになれば、それは「じゃあなんでリアルで公的な場所での全裸写真を撮影しちゃいけないのか」ということになってしまいます。著作権違反でいえば、「じゃなんでリアルでは金出して買ってるの?」ということになってしまうのです。 [その人によってメリット・デメリットは異なる] 何故そういう不公平な状況に気づかないでそういう無神経な発言ができるかと言えばその発言する人にとってメリットのほうが大きいからでしょう。もっといえばデメリットのほうが大きい人間がいるということを考慮していない。そしてその人間を無視して発言しているということです。 自分ひとりで楽しむために開設したプライベートなサイトならまだしも、自分と同じ趣味を持っていようが持っていまいが、不特定多数の目にさらされるようなところに開設していることに問題はある。 これも当然のことですよね、なんでこんな当然なことを言わなきゃいけないのかなとも思いますよね。ネットではリアルで当然のことを言いにくい空気があります。だからこそ、あえて当然のことを発言することに大きな意味があるわけです。ネットの現状の自由さというのは、「自分の自由が他人の自由を阻害するかもしれない」という視点を欠けさせていると思うのです。 子どもへの悪影響を考え、フィルタリングなどの対策が必要だろうが、このようなサイトはどうにもならないのだろうか。 この記者の方は、フィルタリングじゃ物足りなさを感じているようです。 私もフィルタリングだけではリアルの矛盾を解決するにはほど遠いと感じます。 [ネットの自由というイデオロギー] 私は何もこのブログでネット自体を否定したいわけではないのです。私が言いたいのは ネットの自由は何にでも誰にでもどんな状況においても便利で有効であるとは限らないということです。ないほうが快適な状況というのもありうるし、無批判に自由を押しつけるのは、自由というイデオロギーによるファシズムでしかないと思うのです。 例えば、ポップカルチャーで見れば、明らかに「ネットの自由」により、 著作権違反が蔓延し、ポップカルチャー自体が市場の力を失い、 ポップカルチャーとしての力を失いつつあるように私には見えます。 しかし悪いのはネット自体ではなく著作権違反行為が悪いわけで、 それを容認している全てのネットユーザーに問題があるわけです。 何故私がこのブログでこの問題をよく取り上げるかといえば ポップカルチャーは衰退しているのではなく、 ネットの登場により「さらに消費される可能性」を持っているからなんです。 これは著作権違反のダウンロード数を見ればわかることです。 明らかに「超資本主義的な市場」があるのに、不正行為によって無駄にされてしまっているわけです。不正に消費されているという不幸を単純に「情報化の波」という文脈で語るとポップカルチャーの可能性を無視してしまうことになるのです。著作権違反は「ないほうがいい自由」であると私は思うのです。 またネットの自由があることにより犯罪が発生し、それが起こる度に規制を作っていくと、結局はリアル、ネット共にさらに法整備する動きになり、「ネットが無いときより生活しにくくなる可能性」をという矛盾の問題もあります。2ちゃんねるの管理人の「取り締まりたいなら法律作れ」という無責任な発言は、「逆説的に自由を奪っている可能性を孕んでいる」ということを忘れてはならないのです、つまり「押しつける自由はもはや自由ではない」という矛盾ですね。 関連リンク:大日本人に見る同調圧力 |