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2007年を象徴する邦画として大日本人があげられます。
この映画をネットで語るときほとんどの人が言うのが、 ”ネットで酷評されている”というフレーズです。 音楽ネタに引き続き、始めに言っておくと私は 松本人志のファンです。ここを明確にしておきたいと思います。 で私と大日本人について。 この映画の発表がされてから、どんな内容かわからないような宣伝の仕方をしていたので 書店で初めて大日本人のあの奇妙なCGを見たときいい意味で正直どぎもを抜かれました。 うわーこうきたか(笑)と。でCut,Quick Japanその他のインタビュー記事を読み、 好評だったのでDVD出たら見ようという感じでした。 どうせネットの評価は当てにならないと踏んで気にもしないで日が流れたわけです。 で大日本人とは遠いところにいたわけですが、 他の情報とかネット違法関連の検索をしているとやたら目につく。 何が? 大日本人の批判 ・・・・というか批判にも満たないバッシングが(笑) つまり見たくもないものが半ば検索結果というかたちで強制的に見せられるという状況。 これってセクハラじゃ?(泣) で、最近DVDを購入し見たのですが 93年くらいからごっつ~ガキ~一人ごっつ~ヴィジュアルバムとはまってきた 私にとっては、なんら違和感ない映画でした。 どういうことかというと、これぞ松本人志的な内容にしあがっているわけです。 [その人の保守性が試される映画] これが私の大日本人の評価です。 これは踏み絵みたいなものなんです、映画という枠そのものを愛する人は これを受け入れられずに原則論から批判するしかない。 ネットでもおすぎさんの批評がありましたが、これは映画以前のものだというものでした。 私もよく理解できます、確かにこれは従来の映画ではないのです。 この映画で松本人志は、意図的にことごとく観客の期待を裏切る。 例えば、TV番組での客、あるいはスタッフ、出演者同士の笑い声がない。 この誘い笑いがないことにより笑いにくい状況つくっているということ。 つまり観客は笑いにくい。 映画なら当たり前だと言われるでしょうが、 最後の実写でもそれは変わらない。 これは意識的と言うしかないでしょう。 これはヴィジュアルバムでも同じ手法で作られています。 これは松本人志のストイックな考えで視聴者の笑いに対する探求心を試しているのだと私はとらえます。 もうひとつ、TVと同じことするなら映画でやる必要はないというのもあるでしょう。 次に、わかりやすい映画としてのカタルシスの拒否。 この映画ではハリウッド的な勧善懲悪が無く、ひたすらぼんやり悲しいけど 仕事やってます的なヒーローものなので観客の気分は高揚することができません。 これでハリウッド的な映画しか普段見てない人たちはこの時点でつまんねーとなるわけです。 しかも最後に意味不明の実写で起承転結の結がゆがみます、完全に客を裏切ります。 笑えない、つまらない。 つまり松本人志への期待がモロに出たわけです。 笑わして欲しい、おもろいのが見たい! これをことごとく拒否されたわけですから、頭の弱い人は抑圧的な形でバッシングに走るわけです。 この映画のおもしろさは"既存の映画をぶち壊す"、それを理解したところから始まる。 TVのお笑いでもなく、従来の映画でもない。 松本人志の世界観を映画というスケールで新しいものとして提示したこと。 私は、その意味でこの映画をおもしろいと感じました。 何故、松本人志は公開前情報を一切公開しなかったのでしょうか? 判断は客に任せると発言していましたが、どういう意味で発言したのか? それは作戦でもなんでもなく、単に新しかっただけのことだと思います。 [お笑い作品として] ただ、インタヴューで発言している、「マニアックっていうか、これがおまえらにわかるかっていうものではなく、真っ向勝負で映画館で笑かしてるやんけというコンセプトやったんですよ。」という試みは、私的には全然マニアックだしそこまで笑えるものでもないという風に感じました。 松本人志は一般向けの感性に合わして作りましたよということなので、その意味では 一般の客にとっては”まだまだマニアック”、コアなファンにとっては"一連の優れたTV作品と比べるとちょっとぬるい"微妙な お笑い作品になってしまったのではないでしょうか?その意味では失敗だと思いました。 [バッシング記事がゴミなのは] しかし、一連のネットのバッシング記事がゴミなのは この映画の本質を評価せず無視し、TV作品との落差だけを取り上げ、 前提的につまらないと決めつけ悪口レベルのバッシングを必要以上にばらまいていることに尽きます。 バッシング記事でもっとも質の低かったのがこれ。 (正確にはファンバッシング記事というもの) 「ニコニコ動画の大日本人特番のファンと批判者の動画の感想。私も松本のファンだった。信者には2種類あり、。コンテンツ志向型と自己愛型の二つがあり、コンテンツ指向型の人間こそがコンテンツの良さを理論上正確に把握できるのだ。私はコンテンツ指向型の人間で、自己愛型のファンはよくわからない。松本人志の映画を擁護しているのは、松本人志が好きな自分が好きな人たち(自己愛型)だけ~というのも寂しい話だ。」というもの。 ん?何て痛い記事なの~?(笑) ニコニコ動画を見てる時点であれな感じが・・・。 まずこの記事を読んで思うことはこの人はいったい どの位置から発言しているのだろうということ。 本人はつまらないとかおもしろいとか一言も言っていないのに 他のバッシング記事の100倍イラだたしいのは何故でしょう。 それは・・・ 人の尻馬に載りつつ、この映画を支持する者全てを自己愛型といういかがわしいカテゴリーに納めて、バッシングするといういやらしさにある。 だいたいその自己愛型って誰が判断してるの~? この人のその発言も誰かの自己愛型の現れだったらどうすんだろうね~? しかもつまらないってことを絶対的なものとして位置づけてるよね? 誰が判断したの?神?(笑) この人は神の視点から物をいっているということがわからないのかなぁ? 批評とは、あくまでも対等の位置において成り立つもの。 絶対的価値を大前提的に押しつけて、しかも自分は高見の見物で蚊帳の外。 まだ自分から「つまんねー」とアピールしてる人間の方が100倍マシ。 こういうやりくちが一番最低だと思うのです。 もうひとつ言うと、このいかにもロジック的な見方を提示しているようで 全くしていないという手口が犯罪的。 コンテンツ指向型ってこれさぁ・・・誰判断するの? 自主制?多数決制? まず神を定義しなきゃだめだよねこれ? 相対的にコンテンツ指向型とか相対的に自己愛型とかそんな曖昧な定義は 成り立たないよ~? おかしいことにその定義はその記事にあるように ”松本本人が「俺の笑いが判らない奴はレベルが低い」旨の発言”と全く同じレベルの曖昧さを持っているということ(笑) 理論上も糞もないよ?松本さんの発言は俺は”コンテンツ指向型”といっているようなものなんだから。 しかも芸人さんが言うのと、匿名の一般人が言うのとでは意味合いやリスクが全く違ってくるのよね~。 で、シメ。 何故同調を求めるのでしょう?不安だからじゃないんでしょうか? わからない=つまんねーとなる思考回路のいっちゃってる人が不安がり 他人に半ば強制的に(しかもセクハラ的に(笑))同調を求めた結果 このような空気ができあがったんだと思います。 肯定的な意見も否定的な意見ももっともらしい絶対的価値観を、大前提的に同調を求めてくる奴には要注意! 今回はここまで! ラストにまさに今の状況を言い当てたような水道橋博士さんの好レヴューを紹介。 |
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