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武田邦彦とWikipedia

エコロジーは無駄と主張する中部大学教授の
武田邦彦氏のサイトで興味深いことが書かれている。
「武田邦彦」氏のWikipedeiaの項目の編集内容が
ものすごい反武田で偏っていると言うのだ。




#61-1
(↑赤線は肉球フォントがつけました。)

目次を観ると
「批判」「問題点」という項目がそれにあたる。
執筆者から観た武田氏の主張の概要が書かれたすぐ後に
批判・問題点という形で武田氏の批判が書かれている。

これは・・・当たり前のことなのだろうか?
それでは、武田氏の著作の反論本を出した
オタク作家の山本弘(つまり論敵である)の項目は
どうなっているのだろう・・・?

#61-2

これだ。
んん?なにこの違いは?!
もし武田氏の執筆内容が・・・あれでもいい・・・と言うなら
論敵である方の項目にも批判・問題点という項目が
なければいけないはずではないか?

なんなんだろうこれは・・・?と思う。
Wikipediaはふざけたことに
Googleと結託してページランクが高くなっているために
検索すると一番上に結果として出てくることが多い。
つまり、「非常にネットでよく観られるページ」なのだ。

例えば武田氏をテレビで知って興味あるから
検索してみようとしたら
うっかり本人のサイトではなくWIkipediaに行ってしまい
「反武田」で埋まった執筆内容を見て
まず「嫌われているんだ」「主張に問題点があるんだ」
というイメージを持ってしまうことになる


同じく山本氏の場合は
執筆内容を見ても、これで引く・・・という内容ではないだろう。




これはどう考えても・・・卑怯だと思う。
私のようにネットの情報に抵抗がある人は裏が読めますから
その偏向的な行動が見抜けますが。
世の中には、
抵抗がなくそのままその印象や内容を鵜呑みにしてしまう
無知な人・・・もいるし
あえてバカなふりをして印象操作を計るおバカな人もいるわけです。

もちろんこの世の中が階級社会で
無知やおバカが一番下で選挙権もないというのなら
別にいいですが
問題は、表面上は平等ということになっているし
悪しき民主主義のせいで選挙権もまともに与えられているということです。
無知を洗脳することは・・・力になる。

これはものすごい、民主主義、自由を逆手にとった
卑しいプロパガンダのひとつなんですね。




武田氏も自身のサイトで疑問を表明しています。


その人を紹介するときには、まずその人の全体像をまとめて欲しい。まとめ方が少し気に入らないとかは言ってはいけないのだろうが、Wikipediaの個人のページがその個人の誹謗中傷になるようなことがあると、全体を壊してしまうのではないか?と少し疑問に思う。http://takedanet.com/2008/07/wikipedia_63bd.html



さて、Wikipediaはネット情報の中でも、客観的にあることを調べるのに役立つ。それは記載されていることが、不偏不党、正確であるということだ。http://takedanet.com/2008/07/wikipedia_9f36.html



そう、あくまでも「個人の記述」は事典という体裁なのだから
極力、客観的事実を記述しなければいけない。
執筆者の主張する場や論争の場であってはならないと思う。
それをしたいのならWikipediaではなく、
自分でサイト・ブログ、フォーラムでも作ったらいい話なのだ。


私はあまり「業績」というものを強調したくはないのだが、これまで学術論文や講演を数多く行い、学術の世界で貢献をしてきた。人は自分を紹介していただくときには、できれば正確にその人のことを表現して欲しいと思うものである。ネットだから人の心が変わると言うことはない。http://takedanet.com/2008/07/wikipedia_63bd.html



何も間違った内容を書かれて嬉しいという人もいないはずだ。
そして反武田の内容にも触れている。


私の著述物の内容に関する「批判」が主要な記述内容になっていること、そこに書かれていることが「私が考える事実」とはかなり異なっていると感じているところをあげていきたい。
http://takedanet.com/2008/07/wikipedia_9f36.html




「上記主張について、誤りや虚偽が多い、根拠としているデータが捏造である、と度々指摘を受けている。」
とされている。
私自身の感触では、私の著書に記述された事実について、批判があることは良く承知しているし、また学問にとって批判は大変、重要なものであるが、「誤りや虚偽が多い」などとの批判は全体から見ると少数で、多くの人は支持してくれていると感じている。
http://takedanet.com/2008/07/wikipedia_9f36.html



執筆者は、
その対象となる人物の悪口を書こうと思ったら
いくらでも書ける
ことになっている。
一人ならまだしも、集団となるとそれこそ
Youtubeの動画アップ、消しのいたちごっこと同じ様子を呈する。


特に、私は特定の個人の批判と言うより、国、自治体、NHK、新聞など巨大で、強力な組織を中心として批判している。それは「学問の自由」というのは、近代社会において「権力に批判的」であることによって与えられているからである。つまり、学問の自由や報道の自由、また言論の自由というのは、個人に対して使用されるものではなく権力に対して自由である。
http://takedanet.com/2008/07/wikipedia_9f36.html




自分の所属する機関や強大な権限を持っているところへの批判の場合は匿名で身を守る必要があると思いますが、おそらく執筆者は私の権限の外の方とおもいます。
http://takedanet.com/2008/08/wikipedia_0040.html



この独特の権力に対する考えは武田氏の反エコの源と言える。
個人に対してはあらゆる表現も自由ではないということだ。


また、さらに公開の場で、本人にその理由を聞くのが良い。私も一橋大学と武蔵野公会堂で、私と意見を異なる人とともにシンポジウムをしたが、そのような場では本人から理由を聞くことができるので、前向きになる。
http://takedanet.com/2008/07/wikipedia_9f36.html



文句があるんなら公開で勝負しろ!と、う~ん勇ましい。


Wikipediaが中立的なら、養老孟司先生と池田清彦先生のご著作に私の著作の支持が記載されているし、産経新聞には吉村作治学長が推薦文を書かれている。このようなことの内容も併記して頂くと、ありがたい。http://takedanet.com/2008/07/wikipedia_9f36.html



そうそう、問題点・批判が多いならそれを補う記述があってしかるべきなのだ。
で、そういう記述を探してみましたが・・・
私が見た時点では見つかりませんでした
無視・・・というわけです。


わたしは、もともと個人の紹介にあまり人の支持や批判を中心にするのは望ましくなく、それより淡々とその個人が述べていることを示してもらいたいものである。批判する人はその人のウェブなどで自説を述べれば良いと思うからである。
http://takedanet.com/2008/07/wikipedia_9f36.html



その通り、悪意のある執筆者は
Wikipediaが持っている妙な信頼性を利用しているに過ぎないのだ。





Wikipediaの武田の批判の記載の最初に、
「アルキメデスの原理を用いた主張は、地球上の他の様々な場所の氷の融解や海水の熱膨張により海面は上がり続けており、現に『環ウソ』においてもIPCCの報告に基づき海水面上昇の理由として「海の水が膨張するから」と明言しており、海水面上昇が起こらないと主張しているわけではない[16][17]。そもそもアルキメデスの原理に必ずしも言及する必要はない[要出典]。」
http://takedanet.com/2008/07/wikipedia_b4ac.html



なんかよくわからん文章である、何度か読み返してみてもよくわからない(笑)
わかりやすいようにまとめると・・・
「武田氏の主張は海水が膨張してると・・・言っているので
決して海水面上昇を否定しているわけではない。」
ということか。


これほど事実の記載に誤りのあるWikipediaは社会的な意味があるのだろうか?Wikipediaはできるだけ正確に事実を記載して欲しいものである。まして、「海水面は熱膨張によって上昇する」と記載している書籍の批判として「海水面は熱膨張によって上昇する」という批判をすることは、論理性と誠意を失っている。
http://takedanet.com/2008/07/wikipedia_b4ac.html




海水面は熱膨張によって上昇するが、30年で10センチ程度であり、決して報道されているように数メートルではない、
http://takedanet.com/2008/07/wikipedia_b4ac.html



つまり海水面の上昇そのものがポイントなのではなく、
レベル、つまりどれだけ上昇するのかがポイントなのに
執筆者は「やっぱり上昇するって言ってるじゃん!」とふっかけて来たわけですね。
う~ん、これは本をちょっと読んだだけでわかってしまうことなのに・・・
なんでこんな低レベルな批判をしてるんだろう・・・怖い怖い。


Wikipediaの私のページに、「事実以外のことが書かれていると」ご心配してくれる読者の方が多い。そして事実以外のことを記載した場合は削除する手続きを教えていただきました。
http://takedanet.com/2008/08/wikipedia_0040.html



自分で消してみては?・・・と言われてもねぇ。
私が武田氏ならこう言ってしまうと思う。
何で私がWikipediaを使わなきゃならんの!?(笑)と。
バカか!!
だってさぁ、これってリアルで例えたら
例えば渋谷駅の伝言板に私に対する誹謗中傷があってそれを
いちいち私が渋谷まで行って落書き消しを自分で行いにいくようなもんですからね(笑)。
選挙ポスターじゃないんだからさ・・・


 確かに私のページでも、記載事項には文献が引用されていて、客観性を持たせるようにされています。もし、客観性があるなら、学会と同じように執筆者を明示してください。住所、電話番号、お名前でも良いですし、職場、メールアドレス、お名前でも結構です。
http://takedanet.com/2008/08/wikipedia_0040.html



執筆者に名を名乗れ!という訳です。
でも・・・無理でしょうねぇ、
もともとWikipediaに書くような人間(リアルで観たことねぇ!)が名を名乗るわけがないですし。
というか実名制にしたらいいんですよ・・・、
特に・・・「よく見られてそれなりの信頼性を謳っている」ところは。
実名ならよっぽどの覚悟がないと
書く気が誰も起こらないはずですから。


もし、何かの事情でお名前を名乗れない場合、次の措置をして執筆から手を引いてください
まず、上に示したWikipediaの編集方針を守ってください。
~次に、記載は正確にしてください。たとえば私は芝浦工業大学から名古屋大学に移動し、昨年から中部大学にお世話になっています。履歴の一部を割愛すると誤解を招くことがありますので、正確を期してください。
~繰り返しになりますが、Wikipediaを執筆する人は、紹介すべき人や事柄を論評を加えずに紹介すると編集方針に記載されています。それにご注意いただいて、全文を見直してください。
http://takedanet.com/2008/08/wikipedia_0040.html



武田氏は反欧米的な姿勢の方ですが、
意外にも民主主義を志向していて
Wikipediaの表向きの態度を守れということなんですが・・・

私はやっぱり疑問ですね、
Wikipediaの在り方そのものに。
Wikipediaは表向き中立を表明してるわけですが
自身が「中立でないもの」に悪用されることは創設前から想定していたでしょう。
しかもそれが・・・事実として起こっているのにも関わらずやはり
特に何も措置をとらず放置するのがWikipediaの基本・・・絶対方針なのだ。
つまり「悪意のあるもの」にプロパガンダとして利用されても全く構わない、という態度なのだ。
ここは議論する場所ではない、
「客観的情報を載せる場所」なのでは?




Wikipediaに具体的にどういう情報が載っていたらいいのだろうか?
私はこう考える。
単純に武田氏の項目なら
武田氏の経歴、仕事、著作のデータのみ単純に載せておけばいいと思う。
それも細かく・・・というよりはやや大ざっぱでいいと思う
細かいデータは本人のメディアで公開してるはずだし
そこにリンクなり、参照してくださいと書いておけば良いだけのこと。

主張そのものの内容には触れる必要は全くない。
そこには執筆者の意図が必ず入ってしまうからだ。
支持者なら多くから信頼されているように記述するだろうし
反対者なら多くから批判されているように記述するだろう。

エピソードとかも必要ない
そこにも執筆者にどう思わしたいかが現れるからだ。
いい、悪いエピソードどちらもある。
Wikipediaはあくまでもその対象に対する
中立的な「入り口」でなければならない。
肯定的な「入り口」でも、否定的な「入り口」でもいけない。
Wikipediaを観て十分わかったつもりになれるような
内容
そのものがまずおかしい。

だから支持者も反対者も文句がつけようのない
客観的なデータベースとしてあればいいと思うのだ。

それじゃつまらないとWiki信者は言うだろうが
それはWikipediaを
「言論の場」、「俗説を風流させる場」として倒錯している証拠だと思う。
本来、客観的情報はつまらない。
だからつまらなくて当然・・・の場なのだWikipediaは。
また、つまらないことが悪いのではない。
つまらないからこそ客観的情報なのだ。




Wikipediaには間違った情報を載せて普及させたという責任はないのか?
もしないとすれば
それは「媒体」そのものということになる。
どういうことか?

例えば「文芸誌」がホロコーストなかった説を疑いもなく載せた
これはデマだととある団体から抗議が来た、
そして社会的責任を背負って出版社は雑誌廃刊にした。
当然だ、編集の責任は編集者、出版社にある。

だけどその場合
「媒体」そのものに疑問を感じる人はあまりいないだろう
つまり、「紙」媒体そのものを問題にする人はいないだろう。

「雑誌」は単なる文字が印刷された「紙」媒体でしかない。
その「文芸誌」に責任はあるが、
「雑誌」そのものや「紙」媒体そのもの・・・に責任はない。
「紙」媒体そのものに責任があるとすれば
全ての雑誌、新聞、本が問題ということになってしまう!

Wikipediaにもし何も責任がないとすればそれは
「紙」媒体と同質の存在でなければならない。
しかし、Web、ネットは・・・
Wikipediaがなくても機能する。
事実とある時期までWikipediaは誰も使ってなかった。
そう・・・「紙」媒体と同質ではないのだ。
ほぼ無秩序・・・という編集方針を持った一つの編集部といったほうがしっくりくる。
一つの「Wikipedia」という言論誌みたいなものでしかない。
しかも募金運営という、いかにも正義ですよという世界市民的なコーティングがなされた
やっかいな・・・言論誌。




いやいや、
実は私はこういう無秩序な場所があっても別にいいと思ってたりもする。
でもそれは、
あくまでも「ネット的なつながりのないアンダーグラウンド」でなければならないと思う。

Wikipediaが駄目なのは、
ネットのメジャー商品として存在しようとしているところだ。
(募金なのに商品というのはおかしいが
周りの持ち上げ方が商品として扱っている様にしか見えないので)
色んな有名ポータルサイトには
wikipediaで調べるなどのリンクが存在しているし
Googleはほとんど自社のサービスのように使用することを勧めている
任意の言葉を検索してトップページの上に来るのは決まってWikipedia
(うぜえ!)
ネットユーザーが果たしてWikipediaを真に求めているかは疑わしいが。
多くのネット企業が
Wikipediaに触れさせよう、使わせよう、いい印象を持たせようと煽っていることは
間違いない。
そんな状況を前にして・・・私は単純にこう思う、
ウィキペディア?あ?誰が使うかこんなもん!!




さてさきほど言った
「ネット的なつながりのないアンダーグラウンド」とは何か?
すぐどこにいてもどこへでもアクセスできるという
距離感の欠如を「ネット的つながり」とするならば・・・
距離を置いたつながりを「非ネット的つながり」とすることができる。
その「非ネット的つながり」でこそこそと普通の人の目につかないよう地下で交流せよ!というのが
私のアングラ論みたいなものです。

目立たなきゃ、露出しなきゃ・・・誰も文句は言ってこない。
2ちゃんねるが何故嫌われるか?
コミケやエロ同人が何故嫌われるか?
アングラなのに目立とうとするからです。
もちろんWikipediaもしかり、Google、Youtube、ニコ動しかり。
アングラが好きなら、アングラに徹すればいい
決して商業を狙わない、純粋に無秩序の交流を楽しむために
・・・楽しめる人だけのために、人を増やすことも目的とせず
何重もの分厚い鍵をかけたらいい。
秩序と無秩序それが同質の価値として相容れるわけがない
どちらも一方を排他しようとする。
それこそ闇賭博場とか旧来のヤクザ(今は無理)みたいな存在であればいいんです
本来、無秩序的な文化は。


そこで,それほど知識があるなら,別に「匿名」で「客観性を装って」,Wikipediaという百科事典を使って持説を発表しなくても良いのではないかと考え,
「無礼者,名を名乗れっ!」
と呼び掛けたが,返事は無かった
http://takedanet.com/2009/06/wikipedia_6eaf.html



やはりね。


また,客観性を装っているが,実に巧みに私を批判するように事実を歪曲している。知らない人を騙すにはこの手法が良いのだろう.たとえば,「最新の研究を参照していない」というのは,私の金属学会誌の投稿を知りながら,普通の人が学会誌を読まないことを計算に入れて誹謗しているし,もちろん金属学会誌は引用していない.
http://takedanet.com/2009/06/wikipedia_6eaf.html



皆さん金属学会誌なんて読んだことありますか?
私は読んだことも触れたことも・・・もちろんないです(笑)
普通の人を騙そうとしている、卑怯なのだ。


たとえば,最後のところに,「南極が全てマイナス数十度であるかのような主張も誤りであり、気温が比較的高い部分は氷が解ける。」とあるが,面白い錯誤が見られる.
~「気温が比較的高い部分は氷が解ける」ことは当然で,南極大陸が無限に拡大せずに現在の形を保っているのは「比較的高い部分で氷が融けている」からであり,私の著書やネットに繰り返し出てくるが,それは完全に無視している
http://takedanet.com/2009/06/wikipedia_6eaf.html



基本的なミスだ。


南極の氷は周辺部で常に融けていて、それで定常状態を保っている。つまりテレビの映像が南極の周辺部の氷が融けているのを写しても、それで「氷が増えているか減っているか」は判らない。周辺部の氷の融解は寒冷化していても起こることだから、科学的な因果関係はないからだ。
http://takedanet.com/2008/04/post_3865.html




なお,私が使う「融ける」という字と,この執筆者の使う「解ける」という字の違いも面白い.人というのは案外,簡単なところで馬脚を現すものだ.
http://takedanet.com/2009/06/wikipedia_6eaf.html



どうしようもない・・・。


次に,「環境白書の記述では、「気温の上昇は、海水の膨張、極地及び高山地の氷の融解を引き起こし、その結果として海面の上昇を招きます」[15]とある。明日香らが「「極地」という言葉を正確に把握する限りにおいて、極地の氷が海面上昇に与えるプラスの影響に関するIPCC と環境省との見解に齟齬はない」[2]とするように、誤訳ではない。」とある.この文章も執筆者の特定に役に立つ。というのは,私と東北大学の明日香教授の記述とどちらが正しいかという論拠を示さずに,「明日香教授の記述が正しいと仮定すれば」ということで進めている。この記述は,やがてこの執筆者が多くの人の前に顔を見せたとき,とても面白いことになるだろう。
http://takedanet.com/2009/06/wikipedia_6eaf.html



うわ・・・ただ他の人の主張を併記して
論拠も示さずそれをいかにも正しいものとして載せる
つまりツッコんだ者勝ちの世界観に訴えているのだ。
恐ろしい限りだ。
ツッコミを入れただけで勝ちならいくらでも執拗につきまとえるストーカーのような奴が
最強の論者ということになるではないか!?
そのツッコミの内容を吟味しなくては、どうしようもない。


科学の大衆化は望ましいことであり,だれもが自由闊達に科学を語ることができる社会は健全だ。
でも,科学とは匿名で言うような対象ではない.つまり,科学は利権や名誉などに関係ない,単なる自然現象に対する興味だからだ.
でも,科学が大衆化すると,科学的知識だけをもち,品性賤しい人も参画し,このWikipediaのような現象が表れる。
http://takedanet.com/2009/06/wikipedia_6eaf.html



私達ネットユーザーはWikipediaを初めとする
匿名者によるネットの情報に強い疑惑の目を持って接していかなければならない。
そしてそれに対して「抵抗」していかなければならない。
これは情報戦である。
それがどういう人物で、何故匿名で、どういう意図で、どういう行動を実際しているのか
それが判明しない限り一定の信頼を寄せない、それくらいの覚悟があっていいと思う。

2ちゃんねるそのものや、
2ちゃんねるで使われているようなネットスラングを使ってるブログや
萌え系のオタク要素で満たされているようなブログではよく
Wikipedia、まとめサイトにリンクを張っているのが目撃される。
ここを見れば現状がわかりますよという具合に。

私からすると、それはもうただ・・・呆れるという他ない。
何に呆れるかといえば
Wikipedia、まとめサイトに対する「抵抗のなさ」であり
読者をなめてかかる姿勢そのものだ。

まるで「そこ」に書かれていることが
大前提的に「信頼できるもの」としてよく提示されている。
そういうブログ、サイトはまず疑ってかかったほうがいい。
つまりそいつらは結局、こう言いたいのだ。
「Wikipedia、まとめサイトに書いてある通りに解釈してください。」それがそいつらの望む結果を推し進めることになるからなのでしょう。

言い換えればそれは単なる権威主義ともいえるし、
Wikipedia、まとめサイトは集合知だから信頼できますよという信仰でもある・・・といえる。
宗教ならそれでもいいが、
宗教でない対象を宗教にしてしまうと、
一般人に対して偽って布教活動していることになってしまう
それは宗教法人の態度として不健全としかいいようがない。
(またあげ足取るバカ用に言っておきますが、
私は宗教そのものを否定したいわけでは全くないです。)

ネットユーザーはまずその情報を自らの頭で理解しうるまで
それを鵜呑みにするべきではない。
決して理解した気になってはいけない。
理解できないのなら、理解できないと言えばいいし
それが理解できるように勉強すればいいだけなのだ。
ただ無知というのは、恥じるべきものではない。
人は初めて接するものに対して無知なのは当然のことだから。
それよりも無知であることを居直るのが「恥」なのだ。
それがネットユーザーが取るべき健全な態度だと思う。




というわけで終了なんですが
私は「環境問題のウソ」やそれに対する「反論」の議論を
十分に理解できているとは言えない状態なので
そのテーマそのものに対する態度は「保留」とさせていただきます。

化学はもともとあまり興味がないので・・・(宇宙なら多少あるんだけど)
複雑な数式なんか出てきた日には
正直理解できない(笑)
一般の方は特にわからない問題と言えるのではないでしょうか?。
他の主張はともかく・・・
武田氏の反欧米的スタンスは気に入ってますね。
ただ、それが資本主義的な方向に傾いてるところは懸念しておきます。

そしてWikipediaを観ている内に気になったのが
この文を「誰が初めに執筆したのか」ということがすぐわからないことです。
履歴は出るんですが、
履歴そのものを検索にかけることができないため
へたすると四桁もある履歴をいちいち確認していく・・・となると
誰が執筆したのかということを探すこと自体が大変な作業となる。

#61-3

こんな風に今回こういう改編をしたといことが表示されるのですが
これをいちいち観ていくのか・・・やってられへんわ!
このわずらわしさだけをとっても
Wikipediaとは関わり合いにならないほうがいいと言える。
Wikipediaは無視するのが一番いい
ゴミ扱いするのが一番いいのではないか?・・・と思う次第です。


ネットが健全になって欲しいと思う方はリンクをお願い致します。 【 2009/08/20 21:40 】

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