今回は何故私はウィキペディアに苛ついてしまうのかを、あえてまとまりなく個人的なスケールでだら~っと書きたいと思います。
何故私はウィキペディアにイラついてしまうのだろうか。 モロに無秩序なYoutubeや2ちゃんなんかよりウィキペディアのほうが よっぽど健全な感じがする。 イラつくような要素なんか一見ないように映る。
しかし、どうだろう、あの客観的過ぎる文章。 もちろん一応辞書という建前ですからそのような文章が求められるのは有りだろう。
でも・・・まるでロボットがフィルターかけて自動で拾ってきたような熱のない文章。
そういう文章を見ていると、書いた本人探し出してやみくもにぶん殴りたい気持ちにかられたりなかったりする。
何故にどの項目も同じような語調なんだろう。 アカデミックな内容から下世話なTV番組や芸能人のデータまでかなり揃っている。 100歩譲ってそれは良しとしよう。
だけどAV女優まで載っているのはいかがだろうか? 果たしてAV女優はAV女優としてウィキペディアに載りたいだろうか? 執筆した本人はそういう他者の気持ちを考えただろうか? 誰がウィキペディアでAV女優の情報を探し出すというのだろうか? 意味がわからない。
しかも前述の通り、AV女優のデータも同じ語調、研究家が研究する感じで紹介される。
笑わしたいのだろうか?それともマジなのか? マジならやはり殴りたい。 誰が執筆したんだろうか、どんな顔でどんな職業の奴なのか。 そいつがデブでネクラでオタクで彼女いない歴が=年齢で友達もいなかったら私は納得するのだろうか? もしかしたら本人が書いたのか?そうだったとしてもそんな奴はかなり気持ち悪い。 考えれば考えるほど意味がわからない。
とりあえず他の要素に話を移そう。 次は検索だ。 私はウィキペディアに直リンクでお気に入りにいれているものがある。 それは山の項目である。 登山に興味があるからである。 特に海外の山の情報も満載だし、画像もあるので本物の辞典を見ているようで楽しい時がある。 グーグルマップと合わしてみるとかなりの興奮である。 私が直接ウィキペディアを利用するのはその時ぐらいだったりする。 その他はグーグルで検索したら割とトップに来て見たくもないのに一応見るかという感じで見ることになる。
そこに対しても私はイラっときてしまう。 「なんでおまえが上にくんねん?」と思ってしまう。 例えば音楽アーティストの公式サイトを検索しようと思い、アーティスト名で検索すると 公式サイトよりウィキペディアが一番上に来てしまったりする。 「いやいやいやいや、おまえは出てこんでいいから・・・」
ウィキペディアがまるで主張している感じなのだ。 「私のほうが信憑性のある情報を提供してます」という顔で。 余計なお世話である、ウィキペディアよ、おまえは今必要がない。 私はおまえの情報外のところでまず楽しみたいのだ。 おまえのような熱のない客観性を持つのはずっとずっと後でいいことなのだ。 だから出てくるな。 そういうわけでたまに私は検索するとき、○○○○ -wiki と入れてしまうハメになってしまう。
できれば他の検索にも-wikiと毎回付けたいくらいである。 わずらわしい。 できればグーグルの検索対象からはずしてもらえばありがたいが、無理だろうな。
だとしたら私にとってウィキペディアがうざいものであることに変りはなさそうだ。きっとグーグルの検索にひっかからなかったら私にとってウィキペディアはどうでもいいものとして映ったろう。
何故ページの上位に表示されるかといえばページランクが高い上に、辞書だからありとあらゆる検索ワードに対応しているためである。 そう考えると罪なのはグーグルである。 「なんでそんなシステムやねん・・・」そう考えてしまう。 そういえばなんで私はグーグルを使っているのだろうかと考えると、 よくわからない。 それがスタンダードだったからとしか言いようがない。 他に快適な検索システムがあったらそれを使うだろう。
この前ロッキンオンジャパンに元スーパーカーの一人が連載している記事にこんなフレーズがあった。
「ウィキってみた」。
立ち読みだから正確じゃない、「ウィキった」「ウィキる」だったかもしれないがそんなことはどうでもいい。
この時も私はこの人を殴りたい気持ちにかられた。 何故だろうか?
それはFUJIWARAの「生きる!」というギャグを連想させたからではなく。 それはウィキペディアごときに愛称つけんなという反発の意識が働いたからかもしれない。
しかもある程度過去に信用していたアーティストがウィキに好意的な印象を持っているということに対してもイラついてしまったのだと思う。 思い出してみるとスーパーカーを聞いたのは何年前が最後だろうか?CDは未だにあるのに、mp3化はしていない。 今度スーパーカーを聞いた時、「あ、ウィキるの人だ!」とか思うハメになるのだろうか?
何でネットとは言わないでウィキと言ったのか? それは調べたい単語がウィキで乗っかってる可能性が高いからなのだろうか? そして何故ウィキで調べるとは言わないでウィキると言ったのか? でもその前に何故この人はウィキに対して抵抗がないのだろうかと思ってしまう。
それとも私のウィキに対する嫌悪感のほうが異常なのだろうか?
そういや同じ感じでググるというのもあった。 でもググるに私はイラつかない。 何故だろう? グーグルに対してそれほどイラついてないからだろうか? 意味がわからない。
最近レッドカーペットというお笑い番組の特番で、コント番組のコラボがありそのコントの中で単語を調べるやりとりがあり、こんなフレーズがあった。
「ウィキペディアで調べよう」
やはりイラついてしまう。 どういうことなのだろうか? 調べたいことがあるとして・・・、何故ウィキなのか?・・・辞典じゃなく何故ウィキなのか?
しかも携帯だった。 コントの内容はそれ以外全く印象に残らなかった。 意味が分からない。
あんな熱のない客観的な文章と匿名の誰だかわからんような情報を辞典代わりによくできるなぁと呆れてしまう。 まぁそれはいいとしよう、でもそんないかがわしいものをさも頼れそうな感じで他人に広めるのはどうなんだろう?これでウィキがますますメジャーになったら私はますますイラつくのだろうか? 意地になって広辞苑の改訂版を買うのだろうか? そうして前の版の広辞苑は売ることになるのだろうか? 意味が分からない。
そういや知人が情報を調べている時にこんなことを言っていたのを思い出す。 「ウィキペディアに載ってました・・・まぁあんまり信用できたもんじゃないですけどね」 あ、これだ。これじゃないかこういう感覚が健全なんじゃないか。
そういって私はこの記事を締めくくるのだろうか?
意味が分からない。
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